仙台駅でなにやら団体で作業している人達をみかけた
どうやら自転車を組み立てている
ビアンキにコルナゴ
いいなぁ〜
おそらく夏休みで電車で仙台にきてこれからツーリングかな
ビアンキ欲しい
写真はその一団をこっそり撮ったもの
と仙台からみえる建設中の森ビル
もう高さはSS30をこえている
もう少し伸びそうだ

このブログでは、金沢市在住のプログラマ/サーバエンジニア 黒川 仁がWeb技術っぽい記事を書いています。
この時期、冷やしラーメンが好きでよく食べるのだか
やってしまった
スーパーからもどり冷蔵庫を開けると
何故かそこにはすでに冷やしラーメンが鎮座していた
本のダブりは何度かあるのだが
食品でもこんな事になるとは
写真は「天使と悪魔」の上と間違えて買ったダ・ヴィンチコード
東京から新幹線で仙台に戻るときに
「天使と悪魔」の上中下を買った
いや買ったつもりだった
ちょっと時間がぎりぎりだったらしく
あわてて新幹線に乗り込み、早速読もうとすると・・・・
シオン修道会は・・・秘密結社であり・・・・
あれ、なんか見たことあるな
よくよくみると、モナ・リザが微笑んでいた
ガビーン
どうやら、隣に平積みされていたダンブラウンの別な本を
つかんできてしまったのだ
上が無ければ中下は読めないじゃないか
「はやて」だから大宮のキヨスクで買えるかも、とか思って
社内販売員のお姉さんにどれくらい留まるか聞いてみると
すぐに出発するとのこと
ずいぶん悔しい思いをした
その後、仙台についた後すぐに駅の書店で
「天使と悪魔」の上を買ったのは言うまでもない
東京駅で購入したのはこの3冊。
表紙ですぐ分かるだろうとは思うのだが
そこが黒川クォリティだ
新幹線に乗り込むときに
あとうかいを見掛けた
他人の空似か
かとうあいでないことは確かだ
あんまり人の顔をじっと見るもんではないかもしれない
いつも使っている手帳のモレスキン。
昨日気づいたら数ページしか残っていない。
使っているのはプレーン(無地)のラージサイズ
急ぎなのでアマゾンではなく駅周辺で買おうとおもう。
アマゾンでは買ったことがなかったので、念のためチェック
1700円か、そうかそうか。
で、パルコの文具屋さんでモレスキンを手に取る。
あれ? 2700円だ。そんなにしたっけ。
一回り小さいポケットサイズを手に取る。
1700円だ。
そうかアマゾンではポケットしか見なかったのか。
ネットの画像じゃ大きさ分からないし。
じゃあ値段かわらないね。
ということで、その場で購入。
あとで、アマゾンの価格を再チェック。
あれ? ラージが1700円ぽい。
いったんゴミ箱に捨てたノートの紙帯を見直す。
サイズが同じだ。
ネットと店舗で1000円も違うのだ。
楽天でも調べてみると。。。
あれ?ほぼ定価と同じ2700円くらい。
なぜに、アマゾンはそんなに安い。
直輸入品か。
今度からはまとめてアマゾンで買うことにしよう。
ネットは手に取れないから分からないところもあるんだな。これ。
そろそろ、アドオンもそろってきたみたいなので
速くなったというFirefoxの3.5を入れようかな~
とおもって何気なくFirefoxのサイトを見ていたら
Firefoxをダウンロードしようぜ!!
みたいなバナーがあった
そのバナーの「フォクすけ」があまりにも可愛くて
つられて思わずインストールしてしまった。
お花畑でたわむれる「フォクすけ」だったはずが
いまや探してもみつからず・・・・なぜだ・・・
Tab Mix Plusはまだ正式版が出ていないみたいだけど開発版でも大丈夫だ。
http://tmp.garyr.net/tab_mix_plus-dev-build.xpi
レビューにこんなを見つけた
update please!
no tabmix no firefox!!!
update please!!!!!
本当にその通りだtabmix なくしてFirefoxなしだ。
そして体感速度も速くなった気がする
うん、そうにちがいない
宗教の話ではありませんよ。
最近は仏教は本来宗教ではないのではないかと思っている。
実家の浄土真宗は多分に宗教っぽいけど。
こういう話はスゴク面白いとおもうけど
TVでやっても視聴率でないんだろうな。
仏教哲学に詳しい宮崎哲弥が「仏教やろう!」といっている(笑)
その後の水道橋博士のコメントも面白い。
[博士の異常な鼎談] 水道橋博士×宮崎哲弥×西寺郷太×中野裕太 後編
TVであまり説明しすぎるというのは、あまり良くないんじゃないかと。
説明しない、分からないからこそ、見ている人、教えてもらっている人が
興味がわくということは大いにある。
昨日読み始めた「思考の整理学 」では、素読について語っている。
素読も漢文の読み方は教えるけど意味は教えない。
湯川秀樹は実は文学学者家系で、小さい頃に
儒学者だった祖父に素読をならっていたときいている。
実家に帰ったときに、酔っぱらいながら兄貴にくってかかった
何故お経は意味が分からん言葉でかいてあるんだと。
聖書は翻訳もされて、わかりやすい言葉でかいてあるじゃないかと。
その返答はよっぱらっていたので覚えていないのは黒川家のお約束だ。
お盆の時のバイトで小学生のころから、私がよむことができる「讃仏偈」も
まったく意味が分からない。
でも、今は分からない言葉で書いてある方がよいと思えるようになった。
TVにしても本にしても、分かるところもあれば分からないところもあると
いうのがちょうど良いのだ。